猫と八朔

何らかの記録

211001

 

内容がない記事を書いてからかなり時間が経っていた。こんなものやっていたのを忘れていた。月日の流れが恐ろしい。全く何も変わらないままで時間だけが過ぎていく。良くも悪くも、と言いたいが悪い意味でしかない。寧ろ悪化していくように思われて、胸が苦しいよ。

 

こんな事をやっているのは実家からPCを引っこ抜いてきたからだ。これでどうでも良い長文がまた書けるのだなと思ったりする。スマホはあんまり向いていない、書いていても楽しくない。Twitterは良いけど、こういうのを書くのには合わないなと思う。別に文章を書いていて楽しい訳ではないのだけれど。

 

最後の更新時に136冊を下回らないように本を読みたいと書いていたが、去年は結局下回っている。ギリギリ100冊読んだ記憶がある。何を読んだかとかはあんまり覚えていない。何の為に読んでいるんだろうな。とはいえ、この作家の作品を読めたから何でも良いかなと思える作品が読めたのはあって、悪くなかったのではないかと思ったりもする。

冊数に関していえば今年も同じ状況であり、今からどうしようかなと思っている。年末にマラソンやるの趣味なんだろうか。こんなものを書いているよりも本を読んだ方が良いし、まずその良く分からない強迫観念を手放した方が良い。何の為に読んでいるんだろうか。とはいえ、強迫的にやればやれない事もないという成功体験があり、飽きるまでは毎年この意味の分からない行為を続ける気がする。そして、続けられる内が華であるなとも思う。多分この強迫観念が無くなったら、本当に何も読まなくなる気がする。

別に本を沢山読んでいると思っている訳ではないのだけど、唯一趣味というか関心がある事柄であろうと思う。これも失ったら何も無くなるなとぼんやり思う。情けないしがみつき方をしている。そう思うなら、もっと死に物狂いでしがみつけば良いのに、とも思うが最早その程度なのかもしれない。趣味がないのが悪いのでなくて、趣味がない自分が耐えられないというだけの話である。みっともないな。

前よりも読む読む詐欺が減った気がして、それはどうせ読まないと自分で理解しているからなんだと思う。そんな理解はしたくなかった。

 

アマプラもネットフリックスも大して観てないが、私以外の人が良く観ている。何で私が払っているんだろうと思う時もあるが、別にそれは良い。けち臭い事は言わないでおきたい。観たいものはあるけれど、観る精神状態になれない。集中力とかそういう体力が異常に下がっているんだろうと思う。本が読めないのもこれのせいなのかもしれない。1日1冊読んだら本当に疲れてしまう。

去年はちゃんとドラマ完走しているから良かったねと思う。今のところ人生であれを超える映像作品には出会えないのではないかと思っている。幸せな話である。あとはS3までを2週間位で走りきるみたいなアホな事もしていた気がする。サブスクリプションの奴隷。完走はしたが、一生こんな事はやりたくないと思ったことを覚えている。帰宅して寝るまでずっとスマホでドラマを観るのはそれなりに厳しい。修行か何か?と言われたが、強迫的にやればやっぱり人はやれるんだなと思う。こんなどうでも良いことをそんな風にやる必要はない気がするのだけど。

 

去年は自愛と自律と言っているが、勿論全く駄目であった。現在進行形で駄目である。善くって一体なんだ。分からんけど、善くありたいよ。不機嫌なままで穏やかに、本だけ読んで生きられたらとやっぱり今も思っている。祈りは何も変わらない。

 

何でこんなタイミングで2020年の話をしているのか良く分からないが、あまり気にしないで欲しい。2021年が終わった時には2021年の話をしたいから、という感じなのだろう、多分。